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卓話:宮田幹二 「科学研究のサポーター」

 私は、化学を中心にずっと学んできました。原子・分子の立場から、宇宙138億年・地球46億年の歴史を辿る旅人を生涯にわたり続けたいと念じています。つまり、サイエンス(科学・化学)のサポーターです。

1. 科学研究とともに歩む旅

 国内:大学生の旅(大和路、周遊券による国内);学会、討論会、シンポジウム、研究会
 国外:30歳西ドイツ留学の旅;国際会議
 宇宙(科学)の旅(時間・空間の旅)

 科学を学ぶと、原子・分子が138億年をかけて、何を成し遂げたか、言い換えると自然の歴史を考えることになります。原子・分子による、発見や発明の138億年の歴史です。このような考え方は、過去半世紀にわたり、確立されてきました。テレビでは科学番組が多くなり、新しい考えが紹介され、楽しい時間を過ごすことができます。

 例1:恐竜について、新しい考えが紹介されています。羽毛を持つ恐竜、そうなると寒い場所でも生きられます。温暖な陸地に住む、大きな恐竜だけではなく、水中や空中、雪や氷の寒い所にもいたのです。赤ちゃんをおなか、胎盤で育てる恐竜もいて、家族で生活したようです。

 例2:地球に似た惑星が他の太陽系にもあるでしょうか。前世紀末に観測法が確立され、他の太陽系にも地球に似た惑星が遂に見つかるようになってきました。

 例3:「億」という言葉が大変気に入っています。例えば、寿命について人生は百年(約30億秒)、太陽は約百億年です。大きさでは、直径13 cmの地球儀は一億分の一の地球、従って月から地球を見ると人間は原子分子の大きさに近くなります。つまり、人間は原子・分子のようです。人間は集団を作って家族、会社、国家などを作ります。同様に、原子・分子も色々な個性的集団を作って、いろいろなことをする。これが面白いわけです。脳が指令するだけではなく、臓器や器官同士でも情報を交換しています。

2. 学生とともに歩む旅(国際交流)

 ここからは、少し趣向の違うサポーターについてお話します。ファンとサポーターとは少し違うかもしれませんが、ここでは気にしません。野球は小学生の頃から好きで、ずっと阪神タイガースのファンです。大学の研究室では、毎年7月頃に甲子園球場に行くことが恒例行事となっていました。

 大学院生のときは日本育英会から、33歳の西ドイツ留学のときは西ドイツフンボルト財団から奨学金を授与されました。留学中は、ヨーロッパ各地を巡りました。国内外で開催の学会・討論会・シンポジウムに参加し、日本国内から海外へ、いろんなところに旅行しました。旅は心を開き、思いがけないものを生み出してくれるようです。不思議と、いろんなアイディアが生まれ、研究が進んで行きました。前節で述べた、原子・分子の立場から、138憶年の宇宙の時空を旅するという発想も生まれました。

 返還不要の奨学金でしたが、その恩義に報いるために、研究室の学生を多角的にサポートしたくなったのは自然の成り行きでした。例えば、学生が国内外の学会などで研究発表すること、国外の大学研究室に短期留学することを奨励しました。恩師の研究室で共に学んだ知人の縁で、台湾の成功大学やタイのチュラロンコン大学との交流を進めました。

3. 同世代創業者とともに歩む旅(株の長期投資)

 必要な資金は意のままにはなりません。公務員の給料だけでは限界があります。研究費から学生に旅費を支払うことは、以前はほとんどできなかったのです。次第に融通が利くようになり、近年はかなり自由になりましたが、それでも金額には、枠があります。

 一つ辿り着いたのは、企業のサポーター、つまり長期投資家になることでした。具体的には、株を買い、気長に持ち続けることです。科学を応用すれば技術となり、その技術を用いて企業が発展し、国の産業となります。企業が資金を得るために、株を発行し、市場で公開します。私の若い時には、ソニーやナショナル(松下電産)がありました。松下幸之助や盛田昭夫は、人生一代でゼロから世界で活躍する大企業へと成長させました。といっても、彼らはもはや歴史上の人物です。

 時代が変わっても、同世代でこのような創業者はいるはずだ。歴史上の人物ではなく、同世代の人間がどんな人生を送っているのか。私も半世紀、年を重ねました。もっと身近に、同世代で身近に感じられる人はいないのか。同世代の創業者で、人生をかけて企業を成長させていく人物を探しました。発想を変えると、意外に簡単に日常生活の中で見つかりました。次に、三例ほど述べます。

 例1:研究生活で毎日使うパソコンに見つかったのは、ハードディスクの小さなモーターでした。2008年発行の本「日本電産:永守イズムの挑戦」には、生い立ちが、記されています。永守重信氏は、1944年生まれ、私より、4歳年上です。1973年に創業し、小さなモーター製作会社を4人で立ち上げました。同じ年、私は大学研究室助手になり、初めて給料を頂きました。パソコンの記憶装置のハードディスクの小さなモーターに目をつけ、社業を発展させました。創業から30年の2003年には、売上高3000億円、京都市内で最も高い本社ビルを作りました。JRや阪急に乗りますと、京都の手前でこの本社ビルを見ることができます。今では、小さなモーターに留まらず、エアコンや掃除機の家庭電器製品、車の電動部品モーターで世界一になろうと意気込んでいます。2020年には売上高2兆円、さらに十年先の2030年には売上高10兆円を目標とし、自らホラを吹いています。

 例2:ユニクロの柳井正氏は、1949年生まれ、私と同学年です。妻の故郷の山口県で生まれ、宇部市の実家の家業を継ぎました。1984年ユニクロの第一号店を開業し、その後カジュアル衣料の大量製造・直接販売で飛躍し、ユニクロは今や世界の一流企業に成長しました。繊維材料として、東レの開発した機能繊維を用い、冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるのが人気の秘密です。

 例3:データをやり取りするインターネットに関係する企業では、ソフトバンクの孫正義氏です。1957年生まれ、私より9歳も若い。1981年、私は西ドイツに留学した年ですが、アメリカ留学から帰国し、創業しました。その後、アメリカで発展するインターネット産業を模範に、ヤフーを立ち上げ、携帯電話のソフトバンクに発展させました。世界中で人脈を作り、日本の情報革命を進めています。今や、AIやITを見据えて総額20兆円ファンドを立ち上げました。

 おおよそですが、これらの企業は5年、10年で、営業利益が倍になる成長を遂げ、株式の時価総額は、2008年のリーマンショックを乗り越え、ここ20年で10倍以上となりました。これらの企業の株を長年持ち続け、少しずつ買い増していくと、平凡なサラリーマンでも、単純な計算では、20年ぐらいで億万長者になります。人生は早いものですが、今後10年以上、彼らが社業を世界で発展させれば、日本には億万長者が続々と誕生するはずです。