活動便り

留学生支援

留学生便り 「国際親善奨学生としての留学経験を振り返って」

1997~98 年度ロータリー国際親善奨学生 友國裕弘

 1997 年 7 月 11 日、家族4人全員がそれぞれ持てるだけの手荷物を持ち、初めての土地とそこでの生活に不安で一杯の気持ちで、関西国際空港から米国に向けて飛び立った日から、早いもので 15 年の月日が流れました。当時小学 1 年生と保育所で年長組だった子供たちも、今は大学生となっています。改めて当時から現在に至るまでを振り返ってみると、国際ロータリー財団国際親善奨学生として米国に留学できたことが、自分の人生にとって一つの転機だったと感じます。財団奨学生として、念願であった留学を実現できただけでなく、国内外のロータリアンの皆様や奨学生としての経験を共有した財団学友との一生に渡る交流の機会を併せて得られたことに、本当に感謝しています。

 大学卒業後、技術系職員として大阪府庁に勤務していた私は、仕事のヒントを得ようと幅広く読書をする中で、米国にはビジネススクールと呼ばれる経営学の大学院があること、そこで学べる米国流の経営学の考え方や手法を様々な問題解決に活かして活躍している人たちがいることを、遅ればせながら知りました。同じように米国流の経営学の考え方や手法を取り入れれば、行政であっても業務の改善や問題解決に役立つのではないか、また、自分ができることの可能性をもっと広げられるのではないかと、強く思い始め、それまで留学など考えたこともなかったのに、実現できる見込みもないまま、留学を目指し英語の勉強を始めました。その後、国際ロータリー財団国際親善奨学生制度の存在を知り、難関と思いながらも応募したところ、合格することができ、本当に幸運でした。

 留学準備では、財団奨学生ならではと今も強く思っていますが、顧問ロータリアンの豊中 RC 畑田耕一会員と PSC(2660 地区財団学友会)の財団学友の皆様に、本当に親身になって、アドバイスやサポートをしていただくことができました。私は、奨学生としては、あまり例のない就学期の子供を連れて家族で現地に赴くことを考えていましたので、自分自身の勉強に加えて、子供たちの教育や生活面についても不安がいっぱいでした。特に、留学先のアリゾナ州は世界遺産のグランドキャニオンは別格として、都市部を観光で訪れる人は皆無で、当時の厚手のガイドブックでさえ、隣接する州都フェニックス市の博物館の案内を中心にわずか 2 ページの記載という状況でした。インターネットもアナログモデムで接続という黎明期でしたので、情報の入手には本当に苦労し、心細い思いでしたが、畑田様からは、ご自身の米国留学経験のお話しに加えて、同じ地域に留学した大阪大学の北山先生もご紹介いただき、多くの情報を得ることができました。また、第一希望の大学から入学許可が得られず、意気消沈していた際にも、当初の思いと異なっても時には流れに身を任せて飛び込んでいくことが大切と、留学に向けて背中を押していただいたことも、とてもありがたいアドバイスだったと思っています。

 留学中は、フェニックス市に隣接するグレンデール市に在住、私自身は学業に専念する傍ら、子供たちは地元の公立小学校に入学、家内もコミュニティーカレッジの講座を受講しながら、子供たちが通う小学校でボランティアとしてお手伝いをしていました。現地でも顧問ロータリアン(グレンデール RC のコフィンガー様)に、子供の小学校での心配事も含めて、親切にアドバイスやサポートをいただき、不安を少しずつ取り除きながら、約 2 年間の生活を安心して過ごすことができました。

 学業面では、TOEFL で大学院の入学基準を満たす語学成績には達していたものの、大量の課題や英語での議論には四苦八苦しました。大学院での初めての授業開始後、わずか 3 週間で実施されたミクロ経済学の中間試験では自分なりに必死に勉強したつもりが C+という成績で、冷水を浴びせかけられた思いでしたが、その後、背水の陣で限界まで睡眠を削って勉強し、平均は A-を超え最終的には優等学位での卒業となりました。

 学期と学期の合間には、社会人となってからは考えられなかった確実な休暇が取れることを利用して、小学校の先生方の理解を得て、子供たちに私の休みに合わせて学校を休んでもらい、お金のない中で唯一の交通手段であったマイカーに飛び乗り、安いモーテルに泊まりながら、東はフロリダ州キーウエストまで往復という大陸横断、北はワシントン州のカナダ国境近くまで往復という大陸縦断にチャレンジし、地平線の彼方まで続く道路を延々と走りながら、家族としての絆を深め、同時に、家族それぞれが思い思いに米国の広大な自然と触れ合う貴重な経験ができました。

 帰国後は、留学先の教授の紹介で、日本 NCR 株式会社に転職。主としてマーケティングや経営企画の仕事に携わりました。民間企業での勤務経験のなかった私は大学院で知識として企業経営について多くのことを学びましたが、たまたま日本的な企業文化を併せ持つ米系グローバル企業で仕事をすることができたことで、日本企業と米系グローバル企業の中での仕事の実務を同時に短期間で学ぶことができました。

 その後、自分自身が留学を志した原点を戻る気持ちで、2010 年に独立行政法人に転じました。私が現在勤務する独立行政法人は、国内約 1 万キロの高速道路を良好な状態に維持管理し、建設等で発生した債務を発足から 45 年以内に確実に返済するという、超長期の壮大な事業に取り組んでおり、技術者として公共事業に携わった経験、民間企業の経営や財務に携わった経験、留学で学んだ会計やファイナンス等の知識、(個人的ではありますが、日米の道路をそれぞれ 10 万キロ近くも走った経験)など、私のもつ経験や知識の珍しい組み合わせを、うまく活かせる仕事をさせてもらっていると感じています。

 留学経験を通じてのロータリークラブとの関わりは、留学前に豊中ロータリークラブで卓話をさせていただいたのを始め、留学中にはグレンデールロータリークラブや隣接するロータリークラブでの卓話、郊外で開催された地区大会への参加、帰国後も大阪と東京のロータリークラブでの卓話や地区大会にも参加させていただき、さらに、2008 年には米国ロサンゼルスで行われた RI 国際大会の第 1 回学友祝賀行事にも派遣していただきました(参加報告はロータリーの友 2008 年 8 月号に寄稿)。現在も、東京の学友会であるロータリーフェローズ東京の会合に時折参加しています。

 最後に、あの時、財団奨学生に選ばれていなければ、その後どのような人生を歩んでいただろうかと思うことがありますが、今となってはもう想像できません。今は機会をいただいて実現した留学で得た知識に加え、留学がきっかけとなって得られた経験やご縁を大切にしながら、今後も仕事を通じて社会に貢献していくことが使命と思っています。また、ロータリーの精神を忘れず、自分が自然体でできる範囲にはなりますが、国際親善にも係わっていくことをお約束し、簡単ではありますが、留学経験を振り返ってのご報告とさせていただきます。

留学先
サンダーバード国際経営大学院 国際経営学修士課程
Thunderbird – The American Graduate School of International Management Master of
International Management

勤務先
独立行政法人 日本高速道路保有・債務返済機構