活動便り
米山梅吉記念館訪問
米山奨学委員会 副委員長
鎌田 誠
(大阪御堂筋本町RC)
日 時:2024年11月23日(土) AM7:00~PM7:00
目的地:公益財団法人 米山梅吉記念館(静岡県駿東郡長泉町上土狩346-1)
参加者:延原健二直前ガバナ-
【地区米山奨学委員会】辻本啓之委員長、大道一弘、松田振興、鎌田誠(以上副委員長)
中西美代子委員、松﨑達朗委員、谷 安都子委員
【東大阪東RC】一由麻里様、土谷美佐子様 【大阪西南RC】中山眞智様
【豊中RC】舩橋輝夫様 【守口RC】他谷 勝様 【大阪リバーサイドRC】高濱昌次様
米山奨学生:16名 以上30名
午前6時30分、都会の早朝はモノト-ンである。この行事に参加して3年、毎回、念の為新大阪駅近くのホテルに前泊しており、新大阪駅まで歩く冷めた鋭利な緊張感と無機質な空間が好きである。千成ひょうたん前には他団体の人々や旅行中の人達もおり、静寂の中にも活気が感じられる。冬の朝はどんより曇っているが、意外に早く白々と明ける。ロ-タリアン2名を皮切りに延原直前ガバナ-、辻本委員長、奨学生達も集まり、定刻前に全員がそろい記念写真を撮る頃には、強めの冬の光が降り注いでいた。
指定乗車券をいただき、全員で足早に新幹線のホ-ムへと移動、7:36発のひかり640号へ乗車、気分も期待も高まり無事に滑り出した。かに思われたのだが、米原あたりで異変が起き、後発の大阪発のぞみ210号の異常表示のため京都を過ぎた地点で点検、私たちの乗った新幹線の3分後の7:39新大阪発のぞみ208号から東京行きは全面ストップになってしまう。3分の差で今回の訪問が出来ない可能性が大であった中、日頃の行いのよい私達の新幹線は30分程の遅れで三島駅に到着しました。
三島駅から大型バスで約10分、米山梅吉記念館に到着。落ち着いた淡いベ-ジュの外観はいつもほっとした気分にしてくれます。第2620地区学友会の篠原学友のお出迎えとホールでのお話をお聞きしました。篠原様の話は自ら奨学生であった経験から、時には優しく、時には厳しく諭す様なお話しでしたが米山愛が溢れていました。その後、学芸員の方の説明で展示室を見学しました。重厚感のある室内は展示物と相まってタイプスリップした様な感覚になってしまう。奨学生達も真剣な表情で展示物を見つめていたのが印象的でした。その後、歩いて5~6分の所にある梅吉翁のお墓に参り、一人一人線香を手向け手を合わせました。奨学生達は、みんな真剣に合掌していたのに感動し、まだまだこの事業の拡大と継続をお願い致しました。きれいな青空でしたが、富士山の方角には大きな雲があり、富士山は今回も見ることが出来ませんでした。館前の庭で記念写真を撮り、お見送りを受け記念館に別れを告げ沼津港へ向かいました。
沼津港では行列のできる有名なお店(RC会員のお店)で鰻の昼食をいただきました。やはり本場の鰻は絶品であっという間に食べ終わり、少し散策の後、遊覧船で湾内をカモメとトンビを引き連れて周遊しました。カモメとトンビへ餌(かっぱえびせん)をやり、きゃあきゃあ騒いでいる奨学生を見ていると、本当にみんな二十歳過ぎの屈託のない若者達であり、その鳥達と純粋に喜ぶ奨学生達を見ているだけで心が和みました。
三島駅では朝の余波がまだ続いており、乗車予定の新幹線は約40分の遅れを生じておりました。しかし逆にいつも慌ただしく三島の駅を発つ予定が、今回は遅れのおかげで初めて三島駅の南側エリア(ショッピング街、レストラン、楽寿園市立公園)でゆっくり過ごせました。それから遅れてきたひかり517号で大阪へと帰途につきました。三島から東京へ向かわれた会員、途中京都で下車された3名を除き、全員無事に到着し、そのまま解散いたしました。
今回の米山梅吉記念館への旅は、いろいろアクシデントはあったものの、無事終えることが出来ました。米山梅吉という、米山記念奨学会の礎を築いた偉大な日本ロ-タリ-の創始者、又日本ロ-タリ-の聖地と呼ばれる記念館を訪れた時間は僅か1日ではあったけれど全員の記憶の中にしっかりと刻まれたと思います。奨学生には本当に忙しく慌ただしい中参加して頂きました。世話クラブ、奨学会、所属の大学等の色々な人々の恩恵の中今の自分自身がいること、様々な思いを交錯させて、厳しい社会へ飛び出す心構え、日本の楽しい小旅行の思い出等をしっかり記憶の中にしまって下さい。
3年目にしてやっと美しい冠雪の霊峰富士を三島駅のホ-ムから見る事が出来ました。
お疲れ様でした。有難うございました。