活動便り
出前授業、箕輪小学校での戦中戦後の生活のお話と児童の反応
大阪大学名誉教授 畑田耕一
豊中市立箕輪小学校の 4・5・6 年生に「戦中戦後の生活」というお話をしました。第二次世界大戦は筆者の小学校(当時は国民学校)1 年生の 12 月 8 日に始まり、5 年生の 8 月 15 日に終わりました。その戦中と戦後の十数年の生活をいろいろな観点からお話したのです(文献 1 参照)。勉強は、教育基本法の前文にある「世界の平和と人類の福祉の向上に貢献する」ことを目標にしてするものだということを基礎にして授業を進めました。以下に、児童からの授業の感想文を中心に授業の模様を紹介させていただきます。なお、話を聞いてくれた児童は 6 年生 53 人、5 年生 54 人、4年生 65 人で、総計 172 人でした。児童の感想文の文末に記入されている⑥、⑤、④の記号はそれぞれの感想文が 6年生、5 年生、4年生によって書かれたものであることを示しています。
1.戦争はなぜ起こるのだろう
戦争はなぜ起こるのだろうと児童に聞いて見ると、領土を増やすためとか、自分たちに反対する者たちを懲らしめるためとか、いろいろな意見が出ましたが、戦争をして誰かが得をすることがあるのだろうか、という問いかけには児童からの応えはありませんでした。ここで、校長先生がはっきりとおっしゃいました、「それは武器を作ることを仕事にしている人達、すなわち軍需産業なのだ」と。これに対して、一人の児童は、「私は、戦争を利用して金もうけをしているなんてひどいと思いました。戦争が起きて、たくさんの人が困っているのに喜ぶ人がいるなんておかしいと思いました。二度とこんなことがないために、一人一人が考えなおすべきだと思いました⑥」と感想文で応えています。「私は死者を出してまで金をもうけるのはいやです。自分が得をしても死者は得をしないのです。みんなが平和にくらせる世の中になってほしいと思いました⑥」や「戦争で金もうけするのならそく地獄行きにしたいです⑤」は、ごく普通で率直な感想と受け取れます。
「とてもきちょうな 1 時間でした。戦争をして得をするのは武器を作っている人だけです。他の人は死ぬだけで何の得にもなりません。だから戦争が 1 秒でも早く世界から無くなるとよいと思います⑥」は代表的な意見です。同様な意見を述べている児童は総員 172 人の 21.5%にのぼりました。学年別では、6 年24人、5 年9人、4 年4人でした。この結果は、戦争のお話しを、上に述べた教育基本法の前文の精神を深く理解してもらうことを目標の一つとして行うのであれば、小学校の 5、6 年が効果的であることを示していると思います。
「畑田先生の話を聞いて日本はあほだなと思いました。なぜかというとそれまで連勝しているからって、ずっと勝てると思っていたからです。今後二度と戦争を起こしたらだめだと改めて思いました⑤」は戦前、戦中、戦後の昭和天皇の思い、そしてそれを引き継がれた平成天皇の思いと重なるもののように筆者には思えます。
「戦争に手をかして金もうけをするのはとっても悪いことだと思いました。戦争は人の命をうばうだけでなく心もうばうので、もう二度とおこさないでほしいとおもいました④」や「ぼくの大おじは広島の原爆で死にました。ぼくは武器を作っている人たちが戦争で金もうけをするのはゆるせません。アメリカも勝ちたかったのは分かります。しかし武器を作らなければ日本もアメリカも戦わなくてすんだのにと、思います④」は4年の児童の意見ですが、戦争の防止を真剣に考えてくれているの
が嬉しいです。
「でも生きるためのお金はもうけなければならない。勉強はそのためにするんだな⑥」という子供を「生きることの究極の目的は世界の平和なのだ」ということの理解に導いていくのが教育者の使命なのだと思います。
「世界から戦争でもうける人がいなくなり、戦争が無くなるのが戦争で亡くなった人の願いだと思います⑥」という素晴らしい感想文で本節を締めくくります。これは次節に述べる世界平和のための勉強に一脈通じる考え方です。
2.戦争が終わった後の世界の平和のために勉強しよう
海軍の兵隊さんは狭い船内での生活なので運動不足になりかねません。それを避けるために考案された体操を小学生向けにアレンジしたものを海軍体操といい、戦争末期の小学校ではさかんに行われていました。筆者の通っていた丹比小学校でも、体育の先生が海軍体操を子供達に熱心に指導し、大変上手になったので、周辺の学校の先生方を招いて海軍体操の公開授業を行うことになりました。それは戦争の終わる約 2 か月前、梅雨の最中の雨の中の校庭で行われました。そして、検閲に来た陸軍中尉は授業の終りで「君達は非常に上手な体操を見せてくれた。私は大変心強く思った。しかし、体操も大事だが、勉強も一所懸命にやってくれ。戦争が終わった後の世界の平和のために」と講評されたのです。体操よりもいわゆる勉強の方が好きだった私は、兵隊さんなかなかいいことを言ってくれたと嬉しかったのですが、校長先生をはじめとするその場におられた先生方には、かなり意外な発言だったようです。後で我が家に用事で来られた校長先生が「けしからんことを言う兵隊さんだと」と怒って母に言い、母は母で「先生、そんなことを言っても、勉強せんと体操ばっかりやってたら国つぶれまっせ」と、かなり強く言い合いをしていた夏の夕暮れのことを今もはっきりと覚えています。この兵隊さんの言葉は、将来この子供たちがどのようにして未来を切り開いていくのかに思いをいたし、戦争のない平和な世界を作ることに貢献してくれることを願っての、必死の発言だったのだと、最近、思うようになりました。
この私の話は児童にかなり強い影響を与えたようで、児童総員の 29.1%(50 人、6 年 15 人、5 年 26人、4 年 9 人)の児童が「『学校で勉強するのは世界の平和のため』ということを聞いてハッとした」あるいは「こんなこと聞くのははじめてで、びっくりした」という意味のことを書いていました。「『世界、日本の人々の幸せのために学校で勉強しているのだよ』という話しを聞いて、私たちはこれからたくさん学び、それを日本や世界にやくだたせていかないといけないと思いました⑥」あるいは「この話を聞いて僕は人のためになにかできないか考えてみようと思いました。クラスの足をひっぱってしまうかもしれませんが、自分なりにがんばりたいと思います⑤」と言ってくれる児童がいるのは嬉しい限りです。「『べんきょうするのは未来を切り開き世界の平和にこうけんするため』ということばはわすれません⑤」も大変心強い一言です。「戦争の話を聞いて、戦争はぜったいにあってはならないことだと思いました。たくさんの人がなくなり、たくさんの人が苦しみ、たくさんの人が悲しむ戦争がなくなるように、ぼくもべんきょうをがんばり、世界を平和にするよう頑張ります⑤」や「『勉強は未来を開き世界の平和に貢献するため』は強く心に残りました。これからも戦争が起こらないように頑張ります⑤」のように不戦を積極的に誓う発言も沢山ありました。「なんのために勉強しているのかがよく分かりました。その理由は、一つ目は世界の平和と人類のため、二つ目は日本の未来をひらくためです。この二つを頭に残して生きていけたらいいなと思いました。ほかの学校にも教えてあげてください④」という 4 年生の児童の意見からは筆者の話に対する強い共鳴が伺えます。勉強は何のためにするのかというような本質的な問いかけの重要性に気づいた児童が 5 年生に 3 人いました。曰く、「私が畑田先生のお話しを聞いて心に残った言葉は未来を切り開くために勉強するということです。なぜかというとこのお話しを聞くまでは勉強するということの意味を理解できていなかったからです。私が今後どうしていきたいかというと、戦争はどうしたら起こらないかということを考えていきたいです⑤」
勉強をすることの意義について考えはじめていた時に丁度筆者の話に接したという児童もいます。「未来を切り開くために勉強するという言葉が印象に残りました。その理由は、勉強はなぜしないといけないのかと考えていた時にこの話を聞いたからです⑤」、「ぼくはなぜ勉強、宿題をしなければならないのか、となやんでいました。畑田さんのお話しを聞いて何故勉強をしないといけないのかが分かりました。勉強をした方がよりこうりつてきに戦争をやめさせることができるからです⑤」、「いつも学校で勉強しているがそれが世界の平和のためというようなことは考えたことがありませんでした。これからはそういうことをたとえ少しでも意識しながら勉強しようと思います⑥」というわけです。文部科学省のいうアクティブラーニングへのある種の切っ掛けを掴んでもらえたものと思っています。
「今日のお話しを聞いて戦争からは何も生まれない、人の命が失われ町が焼けて野原になるだけだと思いました。ぼくは戦争がどういうものなのかを後世に伝えていかなければならないと思っています⑥」や「まだ私が知らないことは多くあると思いますが、世界の平和や日本の未来のために勉強を頑張りたいと思います⑥」、「世界と日本の平和のためになるのなら勉強は苦手だけど頑張ります⑥」、「日本の未来を平和にするために勉強することが分かったので、自分も日本の未来を変えることができるような人になりたいと思いました⑥」などという児童がいるのは心強い限りです。「戦争は二度としてはならない、平和な世界にしよう④」という意味のことを書いている児童が 4 年生に 17 人いたということも特記しておきたいと思います。
これから未来を切り開いていく子供たちが戦争のない平和な世界を作ることに貢献してくれることを願っての、この兵隊さんの言葉が子供たちに途切れることなく受け継がれていくことを強く願って本節を終わります。
3.戦争のことをもっと子供に教えよう
「戦争で金もうけをする人がいることや勉強することは世界の平和のためということは全く知りませんでした。今日のお話しを聞いてもう戦争はしてはダメだなと思いました⑥」や「戦争中はすぐに停電していたと聞いてびっくりしました。暑い時に停電されると冷房が使えなくて困ります。平和な時代に生まれてよかったなと思います⑥」あるいは「戦争は一度起こると何日つづくのですか⑥」などの意見を読んでいると、今の子供達に戦争とそれに続く物資不足の窮乏生活ならびに平和の大事さを丁寧に繰り返して話すことがどれほど大事なことかを痛感いたします。
戦争で多くの人が死ぬことを筆者の話を聞いて初めて知り戦争の怖さを認識したという児童がかなり(14.5% 6 年 4 人、5 年13人、4 年8人)いることも、児童に戦争のことを詳しく教えることの必要性を示しています。「戦争はいけないことだと思いました。だって罪のない人の命を亡くならせるからです。私が大人になってへいわにできるようにがんばります④」と、4 年生が平和のために頑張ると決意してくれているのはありがたいことです。5 年生の 3 人が「日本では戦争に直接関係のない人か
ら死者がたくさん出ているのを知って悲しい気持ちになりました」という意味のことを述べています。
「戦争中停電が起きても乾電池が使えるのは兵隊さんだけだったなんておかしいと思います⑥」という意見は当時の日本の物資窮乏の実体をいまの小学校 6 年生が正確に把握するのがいかに難しいかを如実に示すものです。勿論、「電池は兵隊しか使えないなんて、本当にものがなかったんだなあ⑥」という者もいましたが、この電池に関する意見は意外に多く(6 年4人)、懐中電灯や乾電池は子供たちには身近である故かなと思っています。「今は肉とか魚をふつうに食べているけれど、昔はイナゴやいものツルとかを食べていたのには驚きました⑥」、「クラスに 1,2 人しかゴム靴を履いていなかったという話しに驚きました⑥」などに見られるように、物資不足というようなことは例を上手に使って話すのが良いことが分かります。
戦中・戦後の食べ物不足や小学生の履物は通常草履か下駄で配給制のゴム靴を履けるのはくじ引きで当たったクラス当りほんの数人ということを知っておどろいたり、当時の人をかわいそうに思うという意見はかなりありました(19.8% 6 年6人、5 年20人、4 年8人)。「戦争中はサツマイモのツルやイナゴなどを食べたという話を聞いて、これからはご飯も大事にきちんと食べようと思った⑤」や「こんな話を聞いていると二度と戦争の起こらない日本にしたいと思いました④」はごく自然な反応であると同時に、私の授業が少しは役に立っていることを示すものです。
「今日はいろいろのことを教えてもらい、ありがとうございました」だけが書いてあったり、陸軍中尉の話を単なる海軍体操の説明と捉えたり、風船爆弾の話を面白い工夫の話を教えてもらったというとらえ方をしている児童が少々いた(5.2% 6 年6人、5 年2人、4 年 1 人)のが気になりました。文科省が双方向授業とアクティブラーニングを強調している理由がよく分かります。
天皇がなぜ開戦を許したのかについて、2 人の 6 年生から疑問が提出されていました。「天皇陛下の言いなりになんでみんながなっていたのだろう、と不思議に思いました。私がその時代に生きていたなら自分たちを戦争にみちびく人の言いなりになりたくないと思いました⑥」は今を生きる小学校 6年生としては当然の疑問です。そして昭和天皇もずっと気にかけておられたことの一つだと思います。
4.まとめに代えて
大抵の感想文には、「大変貴重なお話をしていただいてありがとうございました」という意味のことが、文頭あるいは文末に書かれています。でも、「今日は 45 分でしたがいっぱいお話しをしてくださりありがとうございました。今日のことはよくおぼえておきます⑥」や「話を聞いて心に残りました。こんな心に残る話をしていただきありがとうございました⑥」を読むと少しほっとします。そして、「今日のお話はおかあさん、お父さんにもおしえてあげます④」や「今私たちには平和があたりまえのようになっていますが、昔はいつ空襲がくるか分からなくてずっとこわい思いをしていたのがあたりまえだったのが分かりました。私たちは、これから世界から武器がなくなればいいなと思っています⑤」には、お話をしてよかったなあと思うのです。
「83 才でお元気ですね④」、「畑田さん長生きしてください④」、「とても年をとっているのに教えに来てくれてありがとうございます④」など、いたわりを含むお礼の言葉もいただきました。
「今はアメリカとすごい仲がいいのに、なんで昔はけんかしていたのかなと思いました⑥」という意見を読んで、これに応える教育は私の出前授業も含めてあまり行われていないな、という気がしました。しばらく考えてみようと思っています。
当日の私のお話は、4 年生にはかなり理解が困難だったようです。「とても分かりやすくて勉強になりました④」という感想もありましたが、「すごく分からないこともあったけど、分かることもありました④」、「少しむずかしくてあまり頭にはいりませんでした。でも、せんそう中の人々のくらしは少しわかりました④」、「お話が難しすぎて全然わからないところもありましたが、いろいろなことを勉強できてよかったです④」、「少しむずかしかったけどおもしろかった④」など児童には難しかったことを示す意見が大分ありました。3 学年一緒に話すことの難しさを味わいました。
ここまで読んでいただけばすでにお気づきのことと思いますが、児童たちの意見には興味を持つ対象や興味の持ち方の違いによる学年ごとの特徴があります。その主なものをまとめたのが下表です。表の学年の列にはそれぞれの問題について興味を持った児童の人数の割合が百分率で示してあります。最後の列は全学年の児童に対する当該人数の百分率です。
戦争で得をするのは誰かという命題に興味を示す児童は 6 年生には約半数いますが、学年が低くなるにつれて急速に低下しています。戦争で得をするのは軍需産業の人たちだけだということのメカニズムあるいは本質あるいは重要性が低学年の児童には意外に理解し難いのかもしれません。
勉強は世界の平和のためにするものだという理念は、かなりレベルの高い考え方です。このことに興味を示す児童の数が 5 年生で最高になる理由は判然とはしませんが、ひょっとすると筆者がこの話を陸軍中尉から聞いたのが小学校 5 年生の時であるということがその内容とともに児童の心の中に強い印象として残った結果かもしれません。この問題が 4 年生には少々レベルの高すぎる話であることは間違いありません。
戦争で民間人も含めて多くの人がなくなったことや戦中・戦後の食糧難・物資不足の問題に興味を示す児童が 5 年生で多いのは、6 年生よりも 5 年生の方が即物的な命題により興味を示しやすいことを反映しているのかもしれませんが、筆者には想像することのできない別の要因があるような気もしております。
また、上記の 1~4 節、特に 1 および 2 節を読んでいただくと分かりますが、5 年と 4 年の児童から事の本質を突く鋭いそしてよく考えた意見が出ています。これが学年の特性なのか、学年よりもそれを書いた個人に帰すべき問題なのかは決めにくいところではありますが、5 年、4 年には自由闊達によく考えて意見の言える児童がいることだけは間違いありません。少なくとも 3 時間ぐらいを使って双方向的な授業(参考文献 2-6 参照)を行なえば、面白い結果が得られただろうなと思います。今回は45 分授業だったのでそれが出来なかったのが少々残念です。
終わりに、本文を草するに当たり種々ご教示をいただいた大阪大学名誉教授北山辰樹様、兵庫県立豊岡高等学校教諭
渋谷亘様ならびに畑田家住宅活用保存会幹事矢野富美子様に御礼を申し上げます。有難うございました。
参考文献
1)畑田耕一、「今、戦中・戦後のことを思う-2(2009 年 4 月 22 日公開)」
http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/senchu-sengo2.pdf
2)畑田耕一、谷渕初枝「高等学校における双方向授業の試み(2010 年 11 月 11 日公開)」
http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/ed-sohhokoh-jyugyo.pdf
3)豊中ロータリークラブ新世代奉仕委員会「学校教育における双方向授業を考える (2011 年 1 月
22 日)」http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/Education-forum-sohhokoh-jyugyou2011RC.pdf
7
4)畑田耕一 、関口煜 、池田光穂 、栗山和之、大友庸好、山本清、疋田和男、 久堀雅清、安部孝
人、戸川好延、吉澤則男「教育の素晴らしい未来を拓くために(2011年12月21日公開)」
http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/education-forum2011-summary.pdf
5)畑田耕一、岡本博、関口煜、山元行博、船曳裕幸「双方向授業は日本の未来を築く(2011 年 12 月
26 日公開)」
http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/Education-forum-sohhokoh-jyugyou2011RCsummary.pdf
6)関口煜、池田光穂、栗山和之、大友庸好、山本清、疋田和男、久堀雅清、安部孝人、戸川好延、
吉澤則男、畑田耕一教育フォーラム「これからの教育―変えねばならないこと、変えてはならないこ
と」 日時:2010 年 11 月 14 日 場所:羽曳野市郡戸 470 畑田家住宅 主催:畑田家住宅活用保存会
後援:羽曳野市・羽曳野市教育委員会 協賛:大阪大学総合学術博物館
http://culture-h.jp/hatadake-katsuyo/education-forum2011.pdf